飼い主と犬の相性

2020年3月18日

 ああ、そういえば今日は太宰君のお誕生日だねえ。
紅葉姐さんの使いで任務の報告に出向いた折、首領の森は万年筆で机上の書類に今日の日付を記しながら、そんな言葉を漏らした。

「あの野郎にも誕生日なんてもんがあるんですね」
「そりゃあ今ここに生きているのだから、生まれた日は存在するよ。彼も人の子だ」

 君は四月だったかな、と言って返された書類を恭しく一礼して受け取る。
そういや四月と書いたっけか、と、言われて自分の誕生日が四月二九日であると思い出した。
ポートマフィアに籍を置くに当たって、最初に数枚の書類を書かされた。そこには生年月日を記入する項目があったが、幼少時の記憶がなく、おそらく女の胎から産まれたわけではない自分には誕生日など聞かれても分からない。とりあえず、『羊』に拾われた日であり、暫定的にその場所で自分の誕生日ということにされていた日付を書いて出した。どうせ形式状のもので追及されることもないだろうからと。蘭堂との一件の報告を受けている首領なら当然それを知っているはずだが、太宰君より少し早いのだねえ、などと、まるで俺も普通の人の子であるかのように話を続ける。
首領の考えは自分には読めない。首領自身は私と太宰君はよく似ているなどと言うが、自分にしてみれば、太宰の方がまだ分かりやすいと思う。
いっそ芸術的なまでに裏の裏まで張り巡らされた罠の全容を事前に暴いてやれたことは一度もないが、太宰の顔を見ていれば、靴音に耳をすませば、また碌でもないことを考えて勝手に機嫌を損ねてんだなとか、珍しく興味の引かれる出来事があったんだなとか、今日はこの後、最近できたらしい友人と会うのだろうなとか、なんとなく分かるのだ。
太宰の部下は揃いも揃ってあいつを怖がり、何を考えているか分からないからと遠巻きに指示待ちの連中ばかりだが、俺にはなぜこんな簡単なことも察せられないのか分からない。俺だって、性分としては人の顔色を読むのは苦手な方だ。紅葉の姐さんからそういった手管も身につけよと言われて目下練習中ではあるものの、太宰と組むときにはそういうチマチマしたことはあいつに任せて、俺は伸び伸びと暴れさせて貰う。
太宰は俺をそういう風に使うし、俺もまた、太宰が自分に何を期待しているのか、言葉で説明されずとも理解できてしまうのだった。そんなものだから、あいつの意図を汲めないと嘆く奴に対して、俺が助言できることは何もない。

「……中原君、どうしたね? まだ私に報告したい事でも?」
「は…いえ、申し訳ありません。報告は以上です」
「紅葉君の留守の間、よく彼女の部隊を纏めてくれたねぇ。でも、少し働かせすぎてしまっただろうか」

 そんなことは、と慌てて首を振る。
よりにもよってあの青鯖のことなんかを考えて一瞬ぼうっとして、首領に気を遣わせてしまった。俺としたことが酷い失態だ。

「そうだ、中原君、きみ明日から休暇を取りなさい。暫く休み無しだったろう? 紅葉君も京都に一泊してから帰ると先刻連絡があった。そうだねぇ、一週間くらい休んで、少し遊んでおいで」

 遠慮しようと開けた口は、しかし「紅葉君を見習いなさい。日頃優秀な者ほど、余暇を疎かにしないものだ」と言われてしまうと、はいとしか吐き出す言葉がない。一礼して首領の居室を後にした。

 

「いきなり暇になっちまったなぁ…」

 一週間か。遊んでおいでと言われたものの、今何かしたいことはあるかと問われれば、久しぶりに目一杯暴れてぇ、の一択である。紅葉の姐さんがほんの数名の部下だけを連れて西方の任務に赴き、その留守の間、残りの部下が担当している別の任務の助太刀と、それらに関わる書類仕事に追われた。慣れないことをしたからストレスが溜まっていた。
かといって、任務でもない所で目立つ喧嘩をすれば自分の上司である姐さんに迷惑がかかる。帰還の予定を一日送らせて余暇を取ったのも、俺に留守を任せられるという信頼の証だろう。それを裏切りたくはない。
仕方ない、温泉にでも行って酒浸り風呂浸りのデカダンな休日を過ごすとするか。未成年では何かと不便だろうからと、架空の二十歳の男の身分を使えるようにして貰っている。行先はどこにしよう、伊豆…いや、一週間もあるのだからもう少し遠出してみるのもいい。我ながら現金なもので、具体的にプランを考え始めたらやや気分も上がってきた。
自分に与えられている居室のソファに寝そべってスマートフォンの画面を指で叩く。鼻歌を歌いながら温泉宿の候補を検索していると、不意にある広告が目に止まった。

『誕生日で分かる相性占い! 運命のパートナー』

「相性占い、か…あったな、そんなこと」

『羊』に居た頃のことを自分は極力思い出さないようにしていた。仲間に裏切られて傷ついたから、ではない。今の自分は、この組織と組織の長である森鷗外に全てを捧げると誓った。過去の居場所に思いを巡らすのは、その誓いに対して不義理であるように思うのだ。
しかし先刻、自分の誕生日の話題を引き金にあの頃の思い出がフタを開けて出て来てしまった。羊の王などと呼ばれ、ただ周囲に求められるままに力を振り回していた頃のこと。俺の側にはいつも、俺にとっての特別な位置に座ろうと擦り寄ってくる奴等がいた。男は俺の親友を名乗りたがり、女は俺の恋人を名乗りたがった。気味が悪くてその手の奴とは距離を取っていたら、そいつら同士で勝手に争い、勝手に和解し、勝手に俺を逆恨みしていた。理不尽な話だ。
そのうちの一人が持ちかけてきたことだった。中也、私たちって相性一〇〇%なんだって、と言いながら。

「どうすりゃいいんだっけかな…確か、誕生日を並べて、数字を足して――」

 最後に見ていた東北の温泉宿をもうここでいいかと予約してしまってスマホを放り、応接机の上に適当なメモ用紙を広げ、ボールペンのキャップを口で噛んで開けた。いつぞや教えてもらった記憶を引っ張り出し、今日の日付と、俺の記録上の誕生日とを足したり掛けたり、引いたり割ったりした。出てきた数字は、

「相性二〇〇%…」

 っておいおい、一〇〇超えんのはナシだろ。なんつういいかげんな診断だ、それとも、自分のやり方が間違っていたのかと、さっき放り投げたスマホを拾い、相性占い、誕生日、計算、などの思いつくワードを入れて検索してみる。すると自分が教わった診断方法を紹介しているサイトを首尾良く見つけたが、なんと驚くべきことに相性二〇〇%は普通に存在していた。

『息ピッタリ! 二人の間に言葉はいらない♡男女の仲を超えた運命のパートナーです!』

 そんな煽り文句付きで。
男女で診断すること前提なのか、まあ…そりゃそうかと思って、つうか俺は何をやっているんだと急に我に返って恥ずかしくなった。あいつと俺の相性なんて調べなくても最悪に決まっているだろうが。
二〇〇%があるんだからどうせ五〇〇も八〇〇もあるんだろうとそのサイトをスクロールしてみるが、二〇〇%が最高値のようだ。一つだけお巫山戯の要素を入れてみたというとこだろうか。
自分の部下からも遠巻きに見られているようなあいつでも、世界中探せば相性の良い奴はいるんだな。いや、誕生日が四月二九日であれば良いのだから、組織の中にも十人以上はいそうである。
俺は、なんだか急に、自分の誕生日が偽りのものであることを残念に感じた。本当に俺がこの日に生を受けた人間であったなら、これをネタに日頃の厭がらせに対する仕返しの一つもできただろうにと。

「……やめだやめ、くだらねぇ」

 俺は再びソファの上にごろりと転がり、もうこれ以上、昔の映像がよぎることのないように、左手の甲で両目を覆った。

 どれほどそうしていただろうか。いつのまにか眠ってしまっていたようだ。首領の言う通り、自分は少し疲れているのかもしれない。
目が覚めたのは、廊下を歩いてこちらに近づいてくる靴音が聞こえたからだった。
――太宰だ。
なんだあいつ、だいぶ苛々しているな。

「ねぇ君達、僕の犬はどこ」

 隣の部屋は姐さんの執務室だ。彼女の不在時にもその前の廊下には常時二名の構成員が控えている。最近、歴代最年少で五大幹部の一柱に据えられた太宰は、「あいつは新首領の愛玩人形だから贔屓されているのだ」などと負け惜しみの醜聞の的にされることもなくなり、代わりにその異常な頭脳と冷酷さから、マフィアになるために生まれてきたような男だと恐れられるようになった。どちらも、あいつにとって不本意な噂に変わりないのだろうが。
つうか犬って俺のことだよな? よし、殺そう。

「はっ! 中原さんでしたら、隣室におられますが」

 いや待てよ普通に俺だと思って答えてんじゃねえ。あいつらも後でぶん殴る。

「そう。紅葉さんは? 帰還予定は今日だったよね」
「尾崎幹部殿は、一日休暇を取られて、明日お戻りになられるとのことです。至急のご用件でしょうか」
「えぇ…そうなの? 明日の作戦に中也を使いたいから態々来たのに無駄足じゃないか。抑も、僕が僕の犬を散歩させるのにどうして他人の許可を取らなくちゃいけないんだろうね。理不尽だ。君、ちょっと姐さんが戻ったらそう言っておいてよ」

 そんな、とか、無理です、と外にいる二人が太宰に困らされている声が聞こえてくる。助けに行ってやるかと起き上がろうとしたら、奴の靴音はその場から離れ、俺の居室の方に近づいてきた。
きぃ、と静かに扉が開かれる。ノックくらいしろよ、と言ってやりたかったが、俺は太宰が部屋に入ってきた瞬間、つい反射的に目を閉じて、ソファに寝転んだ体勢のまま寝たふりをしてしまっていた。

「……中也?」

 寝ている人間を起こすには心許ない声量で名を呼ばれる。太宰の手がソファの背凭れに触れた、その微かな音が聞こえた。
くそ、目を開けるタイミングが掴めない。呼ぶならもっと大声で呼べよ馬鹿野郎。
作戦がどうとか言ってやがったな。もう宿は予約しちまったし俺は明日から休暇だ、残念だったな。などと言ったらまた妙な厭がらせをしてきやがりそうだし、このまま寝たふりを貫いてやり過ごそうか。
そう思った俺は、規則的なリズムで呼吸をするように意識した。太宰は暫し沈黙した後、俺が横たわっているソファと応接机の間に歩み寄って来た。おいおい何だよ早く出て行け、と表情筋が険しく変化してしまいそうになるのを必死に堪える。
ソファの隅に放っていた俺のスマホを太宰が拾った。こっそり薄目を開けて見上げると、画面に指で触れながら顔面を硬直させている。ロックが解除できないんだな。指紋認証にしておかなくて正解だった。

「何これ、温泉旅館? 生意気~~中也のくせに」

 なんで解除できんだよ! どういう頭してんだ手前は! と叫び出しそうになるのをぐっと堪えた。ここまで来れば意地だ。

「成程ね。姐さんが一日帰還を遅らせて、入れ違いに明日から休暇を貰ったわけだ。森さんはちょっとこの犬に甘すぎるよね」

 手前が言うな。首領がこいつを自分の右腕として重宝していて、だからこそ多少の我儘は聞いてやっていることを、いまや組織内の誰もが知っている。

「休暇じゃ仕方ない。中也も爆睡していて面白くないし、帰ろうかな」

 おお、帰れ帰れ。帰り際に滑って転んで不発弾を掘り当てて爆発して死ね。

 太宰は俺のスマホを元の位置に戻し、それから――応接机の上に出しっぱなしにされていた一枚のメモ用紙をひょいと取り上げた。

「…おやぁ? 何だろうこれはー、見たところ何かを計算したメモのようだけどー」

 …………あっ。

 おあああああああああああ!!

 首筋から冷や汗が噴き出るのが分かった。やべえ! なんでこいつが部屋の前に来た時点でアレを捨てておかなかったんだ俺の馬鹿!

「自分の頭の悪さを嘆いて算数ドリルでも始めたのかな? この左の数字は今日の日付みたいだけど、右の〇四二九というのは何だろう」

 いや、待て、まだ慌てるような時間じゃない。もし太宰がアレに書かれた数字の一つは自分の誕生日だと気付いたとしても、もう一つの数字には見当が付かないはずだ。

「〇四二九…四月二九日…? そうか、中也が『羊』の一団に保護された日だね」

 もう~~何だこいつ怖え~~。
そうだった。こいつは幹部になったから、蘭堂が遺した資料を閲覧することができる。それで知ったのだろう。くそ、別にこいつが読んだって何の得にもならない資料だろうに、大方、俺が読みたがっているのを知っていて、それも厭がらせの心算なのだろう。

「…ふふ、なんでこんな計算をしたんだろう」

 太宰がメモ用紙を机の上に戻したのを見届けて、俺は心中でひたすら安堵し、薄く開けていた瞼を再び閉じた。あの計算の目的と、紙に書かれた『二〇〇%』の意味さえバレなきゃ重畳だ。
さあ、後はこの阿呆が出て行ってくれるのを待つだけ――と思った時、頬にすっと冷たい手が添えられて、それから唇に柔らかい感触が触れた。

「んっ……」

 それが太宰の唇だということはすぐに分かったけれど、こんな行為に対する暴言の用意は無かったので、俺はどうすることもできず、されるがままに口付けを受け入れていた。
その反応は太宰にとっては正解であったようで、零に近い距離で、ふ、と吐かれた吐息は笑っていた。一度目はただ重なって離れたそれは、二度目は下唇を食まれ、三度目に舌で歯列をこじ開けられて、四度目にこちらの舌を探り当てられ、飴玉のようにしゃぶられた。思わず、ずく、と生理的に腰が重くなる。

「……おい、離れろ太宰」
「やあ、やっとお目覚めかい? 中也」
「巫山戯んな。独り言が多いんだよ手前、初めから俺が起きてるって気付いてたんだろうが」
「まぁね。だってこの犬ときたら、飼い主が態々散歩に連れ出そうと小屋まで来てあげたのに、狸寝入りなんてするのだから。…少し厭がることをして、罰を与えてあげたのだよ」
「厭がらせに体張りすぎだろ……」

 そうなのだよ、ほら見て鳥肌、とスーツの腕を捲って見せてくる。包帯で見えねえよ馬鹿。

「散歩な…別に構わねぇが、そいつは手前んとこの犬が満足できるような遊び場なんだろうな?」
「勿論。休暇中でもついつい立ち寄って遊んで行きたくなるような絶好の鉄火場だよ。中也と私なら、昼までには終わる。バカンスには間に合うよ」
「あーあ、休日出勤だぜ。手当は弾めよ、幹部サマ?」
「いいよ。君が予約してる宿、二人分全部僕が持ってあげる」
「おー、そいつは良い……二人分?」

 がばっと起き上がってソファの上のスマホを鷲掴み、宿の予約画面を確認すると、いつの間にか予約人数が二名に変更されていた。ついでに部屋も自分が取った部屋より数段上のグレードの部屋に変えられている。

「おいおいおいおい! 手前まさか付いて来る気じゃねぇだろうな!? 誰が手前と温泉旅行なんて行くんだよ! 休まるもんも休まらねえだろ!」
「僕だって厭だよ! でも中也への厭がらせには全力を尽くす、手は抜かないって決めているんだ…」
「手前はもっと別の方面にその本気を使え! クソ! 今からでもキャンセルして――」

 俺が怒鳴り散らしながら宿に電話を掛けようとすると、手からするりとスマホが盗まれ、太宰がそれを頭上に掲げながら言った。

「ねぇ、中也。今日はなんの日でしょう?」
「……手前なぁ」

 誕生日にプレゼントを強請って許されんのは普段からいい子にしてる奴だけだっつうの。手前みたいな悪魔が生まれたことを祝ってもらえると思うなよ。
太宰君も人の子だ、と首領が言った言葉が、憎らしくもまだ自分と同じ少年臭さの抜けぬ風貌に重なる。チッ、と聞こえるように舌打ちをしてやった。

「……わあったよ。言う通りにしてやっから、作戦の時間と場所を言ってとっとと出てけタコ」
「明朝。場所は向こうの出方によって変わる。中也は夜明け前に私の部屋まで来ること、いいね」

 はいはい、と片手をひらひらさせて応じると、太宰は俺のスマホを投げ返し、それじゃまた後で、とだけ言って漸く部屋を出て行ってくれた。革靴の踵が床を鳴らす音が廊下から聞こえ、徐々に遠ざかっていく。
かつん、かつん、というその軽妙なリズムに耳を澄ませながら、俺はもう一度ソファに深く体重を預け、目を閉じた。

なんだあいつ、機嫌直ったじゃねえか。