君のアンダーの色が知りたい

2021年7月6日

太宰さん、今日は調子が良さそうですね。
ふらっと外に出かけて行ったから、今日はこのまま帰って来ないだろうって国木田さんと話していたんですよ。
昼過ぎ、探偵社の扉を開けると、敦が床に散らばった書類ファイルを拾い集めながら、自分を見上げてそう言った。

「あの個性的な御婦人はお帰りになったのかな」
「ええ。国木田さんが宥めて送って行きました」
「そう。それはよかった」

窓から差し込んだ陽光で、自分の仕事机の表面はほんのりと温かくなっていた。両腕でそこに枕を作って頭を載せ、壁時計の針をじっと眺めながら、帰ってきた国木田からどやされる前にまた退散しないとな、と考える。

自分はこういう、日中の明るい時間帯に労働に勤しむことが、いつまで経っても得意になれない。それはマフィア時代の癖というわけではなくて、そもそもマフィアに勧誘される以前から持っていた性質だった。
昼は夜よりも、圧倒的に人が多く、音が多く、光が多いから、余計な情報が次々と頭に流れこんできて、外を歩いているだけでも自分はひどく消耗してしまう。探偵社の社屋にいればましかと思えば、今朝のように金切り声で怒鳴り散らすタイプの依頼人が襲来したりして、しかも政府関係者からの紹介――つまり探偵社として無下に扱えない人物であったりしたなら、それこそマフィア時代の癖で眉間にずどんと一発、なんてことをしでかさないうちに退散するしかないわけだ。

みんな夜に働いたらいいのになぁ。一瞬、そう考えて、いやみんなが夜に働いちゃったら、今度は夜がうるさくなるのかと思い、その思考のくだらなさに独り笑った。
まぁ今日はいいとしよう。暴れ牛みたいな依頼人も帰ったようだし、さっき、外でぼーっとしていたときに偶然通りかかった中也をからかって少し気分が良くなった。
次に中也に会ったらこんな感じでからかってやろう…、と考えていた矢先に私の目の前に現れてくれるなんて、昔からあの犬はそういう飼い主思いのところがあるよな、と先程の出来事を思い返す。
向こうは向こうで、次に私に会ったらこうしてやろう、と作戦を立てていたようだった。私からの嫌味に応じず、あえて優しい言葉を返してきたりして、おおかた姐さんあたりから借りた会話術の本でも読んで、付け焼刃で実践してきたというところだろう。ビジネス書の割には台詞が軽薄でまるで口説かれてるような気持ち悪さがあったのが謎だが。
その作戦を私が見抜いていると分かったときの中也の顔ときたら傑作だった。私が中也にやろうと思っていた「帽子を本体扱いしてからかう」もその場で実践できたし、おかげで朝からの陰鬱な気分が晴れて、探偵社に戻る気になれた。

中也の考えていることなんてすぐに分かる。そろそろ学習したらいいのに。中也のことで、私が知らない、分からないことなんて一つもないんだってことを。

「あ、そうだ太宰さん。先日、ポートマフィアの中原中也さんに会いましたよ」
「…………へぇ、どこで? 敦君、面識あったっけ?」

頭で考えていたことが口から出ていたのかと思って、一瞬面食らった。敦は、依頼人が暴れて散らばした書類などを一通り片付け終わり、私の向かいのデスクに座ると、「あれですよ、社長賞。譲ってくれたでしょう」と話を続けた。

「太宰さんと乱歩さんが三か月前に解決した事件の褒賞で社長から頂いた温泉旅館の宿泊券、二人とも辞退したからって皆さんが僕と鏡花ちゃんに回してくれたんです」

そういえばそんな話もあったな。急に現物支給で箱根の温泉宿の宿泊券がボーナスとして出て、なんとなく嫌な予感がして他の人にあげてくださいと断ったのだった。
乱歩さんも断っていたとなると、私の悪い予感は的中したということだろう。

「その旅館、どうせ別の依頼人だったってオチでしょ?」
「そうなんですよ。大変でした…でも鏡花ちゃんもいましたし、二人でなんとか解決できて。ああそうそう、その旅館に、たまたま中原さんが泊まってて。僕は鏡花ちゃんに言われるまで分からなかったんですけど、向こうから声をかけてくれたんですよ。今日はオフだから警戒すんな、って」

ポートマフィアは以前、組合との取引で敦を誘拐しようとしていたから、彼の顔と名前を知る者は多いのだろう。中也がいたとなると、ますます自分が行かなくてよかった。

「成程ね。アレがいたとなると、社長と森さんの間で勝手に何か私たちを働かせる算段をしていたんじゃないかと疑ってしまうけど……まぁ、中也は無意味な嘘をつくやつじゃないから、本当にただの私用だったのかな。いや~災難だったね、敦君も。せっかくの温泉旅行だったのに」

うるさいちびっこマフィアの登場で台無しだったでしょ、と私が声に同情を乗せて言うと、そんなことないですよ! と敦は立ち上がってこちらに前のめりになって反論した。

「中原さん、お話面白いし優しいし、すごかったんですから」
「はぁ? すごいってアレの何が?」

異能力で仕事を手伝ってでもくれたのか? いや、いくら休暇中かつ休戦協定中だからといって、別組織の人間にそこまで親切にしてやるほどお人好しな奴じゃないはずだ。

「えっ……それは、その、お風呂で……」
「お風呂で……?」
「その、だから……えっと……何でもありません」
「……何それ。そこで止める? 敦君、言いなさい」
「いっ、いえいえ大したことじゃないんです! 太宰さんと中原さんって元相棒だったんですよね?」
「相棒だけど、それが何? お風呂で何?」
「そんなに凄まないでくださいよ!」
「凄んでない」
「目が怖いですよ…いや、ですから、大げさに話を出した僕がいけなかったんです。よく考えたら元相棒の太宰さんなら、中原さんの裸なんて当然見たことありますもんね?」
「…………え」

中也の…裸?
見たことあったっけ。いや、ない。

「……あれ? ひょっとして…見たことないんですか?」
「見たこと……」

ないけど、それが何だって言うんだ?
あのチビが裸になったからって、そこに何の秘密があると言うのだろうか?

「見たことは……あるけど」

口が勝手に嘘をついていた。

「あ、そうですよね! 元相棒だったって聞いてますし、太宰さんが中原さんのことで今更僕づてに知ることなんてないですよね! すみません、盛り上がっちゃって…でも本当に驚きました。中原さんって、脱ぐと……」
「あ、いい。分かった。全然分かった。超前から知ってる。相棒だから何でも知ってる。大丈夫」
「ですよね~! あ、それじゃ僕、まだお昼食べてないので、何か買いに行ってきます。太宰さんも何か要りますか?」
「それも大丈夫……いってらっしゃい」

はい! と明るい返事を一つして、敦は薄い財布を持って昼食を買いに出て行った。
私は数秒の間、机に突っ伏して沈黙していたが、やおら立ち上がり、自分もオフィスを後にした。国木田の机にピンクの付箋で「明日がんばる♡」と書いて貼っておいた。

中也のことで、私が知らない、分からないことなんて一つもない。それは自分にとって当たり前の事実だ。
会わない間に、新しい趣味の一つや二つ増えたかもしれない。だがそんなことは知る必要もないし、興味もない。もし知りたいと思えばすぐに手に入る程度の情報でもある。
だけれど、裸になった中也に付随する驚くような情報とは何だろうか。すさまじい傷痕があるとか? 荒覇吐の影響で傷が常人の何倍も早く治癒する中也にそれは考えにくい。
あの酷いファッションセンスでいきがったタトゥーを彫っていたという説を推したいところだが、同じ理由で、刺青もすぐに消えてしまうだろうから、それを分かっていて手間暇かけて彫りに行くこともしなそうだ。

「まさか……」

急に恥ずかしがって言い淀んだ敦の表情を思い出す。
あの反応。ひょっとして。
敦は「中原さんって下の毛も赤いんですね!」と言おうとしたのではないだろうか??
中也の髪が赤いのは、彼が外国人だからとかではなく、異能と既存の生物を組み合わせる「人工異能」の研究によって生まれたという彼の出生によるものだと思うのだが、あーーでも待って、まだストームブリンガーを読んでない。ポールとかいう奴の兄弟っていうのが言葉のままの兄弟だったら、中也ったら欧州人ってことになっちゃうじゃない? 碧眼はこの伏線だったのでしたってことになっちゃうんじゃない? いや、まぁね、あれはもうとっくの昔に終わった出来事だからね、私は何がどうでどうなったのかなんてこと、ぜーんぶ知っているのだけど、それでも、今この時点で断言できない。中也のアンダーの色が何色なのかってことを。

「こうしちゃいられない……早く中也に会わなくちゃ……」

何にせよ、中也が普段服の下に隠している何かを、飼い主である私が知らず、こないだ会ったばかりの敦がどうやら見たらしいというこの状況が、ものすごく面白くなかった。

「美しい女性のヌードならいざしらず、中也の裸なんて別に見たくも何ともないのだけど……」

誰に聞かせるでもないのに、そんな言い訳めいた言葉を口にしながら、私は中也の私用端末に電話をかけた。