ラプンツェル

「髪、伸びましたね」

津島君、と淀みなく偽名で呼びかけて、彼は丸眼鏡の奥の分厚い隈を指でごしごし擦りながら、ドーナッツ屋の紙袋を私の鼻先に突き出した。

「やぁ安吾。おかげさまで散髪にも行けない身の上でね」

いっそこんな湿っぽい地下じゃなく塔の上に閉じ込めてくれたら、外の景色に心慰められることもあるだろうに、と胸に手を当てオペラを歌うように大仰に言えば、「その配役じゃ僕が王子じゃないですか」と心底嫌そうに顔を歪めた。

「君は魔女の役さ。私の過去を剪刀でジョキリと切り落としてくれる、ね」

私は指でチョキチョキと鋏のジャスチャーをして、その指で安吾が寄越した紙袋の中をまさぐり、丸いドーナッツをひとつ挟んで持ち上げた。
手で二つに割ると、中からビニルフィルムで包まれた小型のUSBが出てきた。フィルムを剥がし、安吾から借りているちっちゃいパソコンのポートにそれを挿すと、警告なしにいきなりどこかにIP電話がかけられる。これっきり使い捨ての通信手段だろう。

「それじゃあ、終わったらいつも通り全て破棄しておいてください」
「どうせ別室で見ていくんだろう?ここで聞いていてくれてもいいのだよ」
「……配役を聞いた後では、そうもいきませんね」

それではまた、次は半年後に来ます、と言って、安吾は部屋から出て行った。電子錠が三度掛かった音のあと、また外界から完全に隔絶された静寂が訪れる。
すっかり耳に馴染んだその退屈な静寂を破ったのは、懐かしい罵声だった。

「オイ!《サーチャー》!いいかげんこの連絡方法何とかなんねえのか!?こっちにも都合があんだよ!」
「やっほー☆ ポートマフィアの重力遣いさん。元気してた?」

暇潰しに作っておいたアバターの画像を通話先の画面に映し、ボイスチェンジャーで声を変えて話しかけると、先方は「何だこれ…」と反応に困っていた。

「これ?可愛いでしょ。九尾の狐をモチーフに美少女でってリクエストで作ってもらったんだよ。政府関係者経由で発注したからビビらせちゃったのかめちゃめちゃ出来が良くてね~。ほら、前回はサウンドオンリーで味気なかったかと思ってさ」

私の動作に合わせて画面の中の美少女アバターが上半身を揺らしたり人差し指を頬に当てて考えている風なポーズを取ったりする。頭の上の狐耳まで時々動いているのが芸が細かい。

「……あっそ。よく分かんねえけどまぁいいわ。例の抗争――ああ、あんた檻の中だから知らねえのか?横浜で異能組織同士の抗争がまた激しくなってきてな、龍頭抗争のときほどじゃねえが、で、その最中にウチの……何だよ?」

先方が依頼の説明を始めたとき、両手を口に添えて首を左右にゆっくり傾げるモーションを繰り返したら、話が中断した。

「えっと……ん~~……こっちが顔を出してるんだから、できたらそっちも顔を見せてお話してほしー……なって……」

ヤバ。私、可愛いのでは?自分の才能がこわい。
先方は「いや、顔出してるったって、あんたのそれは、絵だろ……」と一般人代表のようなコメントを返しつつも、数秒後にカメラオンにして不機嫌そうな顔を見せた。
えっ?こいつ馬鹿では?裏社会の人間が得体の知れない外部協力者にホイホイ顔見せてどうする。……最後に見たときから、髪が伸びたな。

「これでいいかよ。話戻すぞ。その抗争中にウチの古株の構成員と連絡がつかなくなった。どこにいるか分かるか?異能力者の居場所を探知する異能力を持つ、あんたなら」

それが依頼だった。異能力者を探知する異能力者、通称《サーチャー》は確かに数年前までは実在していたが、特務課の管理下に置かれた後、既にこの世を去っている。私は彼の名を騙り、彼に届いた依頼の内容を詳しく聞き出し、異能力者と異能組織の情報を特務課に流すという『お手伝い』をさせられていた。

「うん。分かるよ。でも、他にもいなくなった人、いるよね?その人たちの気配と混じってて分かりづらい。ねえ、いなくなったときの状況をもう少し教えてくれる?」

異能力など使わなくても、古巣の構成員の異能力と組織内での立ち位置は覚えているし、戦闘時の行動を聞けばある程度状況は推測できる。

「ていうか、ポートマフィアの異能力者なのに簡単に捕まったりしすぎじゃない?」
「あぁ?……ハッ、塔の上のお姫様に言われたくねえよ」
「エーン、確かに。あーあ、私いつまでここにいないといけないのかしら」
「なんだあんた、外に出たいって思ってたのか」
「そりゃまあ。出れないけどね、ここは政府の強い人がウヨウヨ見張ってるし」
「……出してやろうか?」

勿論出た後はポートマフィアのためにきりきり働いてもらうけどよ、と彼はついでのように付け加えた。そうしてくれなかったら、見つけ出してしまうところだった。爆弾で跡形もなく吹っ飛ばしてきたはずの感情の居場所を。

残念だけど――と私が言うと、もうマフィアは嫌か?と私を呼ぶときの声音で彼が尋ねたので、髪の長さが足りないからね、と答えて私は、差し伸べられた梯子を切った。