眠りの森の獣
目を覚ましたら、まず何より先に言うべき台詞は決まっていた。
「ああクソ、何も覚えてねぇ…」
って、もういねぇのか。辺りを見回すと、太宰の野郎は忽然と姿を消していた。Qの人形も一緒に消えている。あいつが持ち去ったのだろう。
あの野郎、ヤリ逃げとは良い度胸じゃねぇか。だいたい俺は拠点に連れてけと言ったのに、なにを野外でキメてんだ、相変わらずの最低男だな。
水道があるだけ外よりはマシか。洗面台で口をゆすぎ、粘ついた顔を何度も手で拭う。変態ですぐ飲まそうとしてくんのも相変わらずだ。
Qは小屋の外のガスボンベに手錠で繋がれていた。いまだ目覚める気配はない。そのあどけない寝顔を正面に座り、ゴールデンバットの封を切って火を点けた。甘い紫煙が立ち昇り、風に消える。
「だから嫌だったんだよ……手前と組むのは」
汚濁を使った後、俺が自分の意思で自分の身体を動かせるようになるまでには少し時間がかかる。
ストッパー役の太宰が汚濁を止めるタイミングを掴んでからは、数時間の睡眠を取れば回復するようになったが、慣れなかった最初の頃は三日以上昏睡してしまうこともあった。
太宰のあの悪癖は、その最初の頃から始まり、あいつが組織にいる間、ずっと続けられた。
この状態になったとき、身体が動かせなくても、声が出せなくても、俺の意識はこの身体の内側から外の世界を見ている。太宰が独りで俺に語りかけ、俺の身体を蹂躙し、その最中に何度も俺の名前を呼ぶのを、取調室の外から硝子越しに罪人を見るようにして見つめてきた。
その罪を咎めることはいつでも出来たが、強姦の証拠を隠そうとしたり、逆にわざと気づくように残しておいたりして、ちらちらと俺の反応を伺う臆病なあいつを見ていたら、そんな気がなくなってしまった。
あいつが何を欲しがっているのか知っていたが、組織のために生きると決めた俺からくれてやれるものは一つもなかったからだ。
「……広津さん、あんたが来たのか。悪いな、面倒かけちまって」
「いいえ、迎えが遅くなり申し訳ございません。ヘリを停めておりますので、こちらへ」
俺の戻りが遅く、連絡もないので、迎えを寄越してくれたらしい。連れ立って来た構成員が慎重にQの手錠を切り、担架で運ぶ。
「…お疲れのようですな」
「ん、ああ…『アレ』を使ったからな」
「なんと、そこまでの強敵でしたか」
いったいどのような、と広津が尋ねかけたところでヘリが離陸し、プロペラの羽音で互いの言葉はかき消された。
いや、なァに・・・。卑怯で、臆病な、俺の――獣だよ。