淑やかなブルー

2023年3月4日

ああ~~~~~……つまらない。つまらないつまらない、面白くない、退屈だぁ!
探偵社のソファにだらりと身を投げ出してそんな遣る気のない声を上げても、国木田が彼を咎める気配はなかった。
なぜかと言うと、その声を発したのが私――太宰治ではなく、この探偵社が探偵社として機能している所以である存在、名探偵・江戸川乱歩であったからだ。

「そんな…退屈どころかいつもの百倍忙しいくらいですけど」

手伝ってくださいよぉ、と敦が縋るような目を向けたが、乱歩は「やだね! 不貞行為の仲裁なんて名探偵の仕事じゃない!」と言って両手両足を大の字に投げ出し、全身で拒否した。

「乱歩さんの言う通りだよ。浮気トラブルの相談なんて、我々『武装探偵社』の領分じゃあない…そういうのは普通の探偵社か、痴情の縺れから荒事になったとしたって民警の出張る仕事だ」

だが、こと異能の絡む案件となれば少々話は変わってくる、と私は付け加えた。
会話をしている間にも、一人また一人と新たな依頼者が扉を叩いて入ってくる。男も女も年齢も様々だが、相談内容はきっと同じだろう。「浮気して相手を怒らせてしまったが、自分にはなぜそんなことをしてしまったのか分からない」とまあ、口上だけを聞くならば庇いようのない案件だ。
この依頼ラッシュは今朝に始まり、二人目三人目までは事務員の女性陣も「そのようなご相談は他所へどうぞ」と冷たく玄関先であしらっていたのだが、四人目五人目と続いて流石に何かおかしいと感じたのだろう、ただの偶然なら申し訳ないのですが…と報らせに来た。その時点で、同様の相談内容の聴取書類は二十を超えていた。まだ正午にも満たない刻限に、通常の探偵社の一週間分の依頼件数を上回っていたのだ。

「抑も一般の客向きには看板すら出していない我々の事務所を訪ねて来ることがおかしいのだよ。時に敦君、昨日の開港祭には行ったかい?」
「へ? あ、はい、鏡花ちゃんと行ってきました。美味しい屋体が沢山出てて…最後の花火もすごく喜んでましたけど…」
「今日の依頼人は、全員その花火を恋人と見ていた最中に、何者かにいきなりぶつかられ、軽い眩暈を覚えたと言っている。そしてその直後、無性に今隣にいる恋人以外の、他の相手を試したくなったと」
「試す…えと、太宰さん、試すっていうのは」
「昨夜は鶴屋町のラブホテルはどこも満室だったそうだよ~?」

敦は私の言葉に顔を赤くして狼狽え、手に持っていた聴取書の一枚をぐしゃっと握りつぶした。

「昨夜、開港祭のフィナーレで行われた花火大会の会場に何らかの異能力者が現れた可能性が高い。恐らく精神操作系の異能、触れた対象の恋愛感情に干渉する――というところかな? 被害者が翌朝には正気に戻っていることを考えると、浮気相手と一発ヤれば解ける異能のようだね。後には粉々に砕けた本来のパートナーとの信頼関係を修復するという難題が残るわけだけど」

途中から敦と私の会話を聞いていた国木田がイッパツ云々の発言で「太宰!」と声を張り上げた。敦君ならともかく、いい歳した男が純情にも程がある。

「その後に残された難題の方で、どうやらこの国のお偉いさんがお困りなのだろうねえ。この件についての相談は武装探偵社に回すようにと警察も他所の探偵社も言い含められているのだろう。要はお前たちで解決しろと押し付けられたわけだ」
「解決しろと言ったって…犯人を捕まえようにも皆さん自分がした浮気の話ばかりで、その異能力者の容姿を誰も覚えていないんです。手がかり無しですよ」
「――そういうわけです、乱歩さん」

ここまでの敦との会話は全て、ソファの上から動こうとしない乱歩に聞かせるためにしていたことだった。まぁそのくらい、彼ならば疾うに見抜いているのだろうが。

「気が進まない」
「私もです。しかしこの犯行が繰り返される限り、連日こうして昼寝を邪魔され接客応対に駆り出されるのかと思うと、そちらの方が堪え難い。それに、警察がより上層組織から動かされている以上、この案件が片付かないうちは稀代の名探偵に相応しい事件も他所へ回されてしまうでしょうね」

ぴくり、と乱歩の肩が動き、数秒そのまま見守っていると、はあああああああ~~~~とでかい溜息を吐いて漸く身を起こした。上衣の内ポケットから御馴染みの黒縁眼鏡を取り出すと、掛けた直ぐさま語り出す。

「その異能力者なら、もう捕まっているよ」

えっ!? と声をあげたのは敦だ。

「逮捕されているなら、解決済みってことですか」
「いいや、捕えたのは警察じゃあない。ポートマフィアだ」

今度は私が溜息を吐く番だった。そんなことではないかと思っていたが、予想的中。最悪だ。

「太宰の言う通り、犯人の異能は触れた対象の精神に干渉するものだ。但しその矛先は恋愛感情に限定されない。これは、掛けられた人物の持つ価値観を変容させ、それまで執着していた対象を代替可能な存在だと錯覚させる能力だ。実に地味な異能力だよ。けれど、使い方によっては人間同士の信頼関係を破壊し、組織の屋台骨を揺るがすことも可能になる。少なくとも能力者本人は――自分の異能に自信があったんだろう」

だから態と開港祭のフィナーレ会場という目立つ舞台を選び、実行した。自分の能力を正当に評価してくれる組織からのスカウトを受けるために。

「ポートマフィアの一員になりたくて、こんなことをしたって言うんですか?」
「大勢の人間が集まる場所で、無差別に被害を出すパフォーマンス。求婚先として政府関係は有り得ない。非合法組織に気に入られようとやったことだよ」

酷い…と呟いて敦は唇を噛み締めた。

「…まぁでも、あちらさんが檻に入れてくれているというなら良いじゃない。昨日被害に遭った人たちには、それは異能力の影響だったと説明して、なんならそうと証明する書類の一枚でも書いてやって、警察には、犯人はポートマフィアの構成員だと言う。それで終わりだよ。犯人も森さんの管理下では今回のような一般市民を標的にした事件は起こしにくくなるだろうしね」
「えっ、犯人を警察に引き渡さなくていいんですか?」

驚いた敦の問いに対し、必要ないよ、と私の代わりに乱歩が答えた。

「探偵社が今回要求されているのは犯人の捕縛ではなく事態の鎮静化だ。つまりこの状況…被害者が無実を訴えてとある調査機関に殺到し、調査の結果彼らは特異な能力で操られていたと分かった、犯人の居場所も突き止めたがそこは恐ろしいマフィアの拠点であり、とても手が出せない…という状況を作ってあげるところまででいいのさ。彼らは浮気の釈明をしたいだけなんだから」
「ええ…そんな、警察より上の立場の人がそんなことでいいんでしょうか」
「だから大っぴらに依頼するわけにもいかず、こうして被害者を次々寄越して強引に働かせようというわけだよ。ああ面倒臭い、国木田くーん、私、今回は特別褒賞を貰ってもいいんじゃないかと思うのだけど」

怠そうに手首を振ってそうぼやいた私に、国木田は珍しく「そうだな、後で社長に掛け合おう」と賛同を示した。依頼者の中には、急に芽生えた浮気心と抗いながらここまでやって来た者や、哀れにも一夜の相手を見つけられず悶々と苦悩している者など、自分でこの異能を解除できないままの者もいる。犯人である異能力者に触れて異能無効化できるならそれが一番早いのだが、そうしないのなら異能に掛けられた被害者に一人一人触れていかなければならない。午前中だけで二十余人、これから何人来るのだろう。ああ死にたい。

「全員、ヤることヤッてから相談に来てくれたら私が働かなくて済むのだけれど」
「太宰、貴様…未遂の相談者にはそんなこと絶対に言うんじゃないぞ。異能に抗う貞淑さに敬意を示せ」

国木田からのお叱りにはいはい、と肩をすくめて、出番が来るまでゲームでもして遊んでいようとデスクに座った。すると、だざーい、と乱歩がソファから動かないまま私を呼ぶ。話せない距離でもない。私はその場を離れずに、何ですか乱歩さん、と返事した。

「一般の被害者は君の異能無効化で助けて貰えるが、ポートマフィア側に被害者がいたら、可哀想だねえ」
「…ふふ、現状協調路線とはいえ、敵対組織の心配までしてあげるほど私は優しい人間ではないですよ。向こうは異能力者の身柄を押さえてる。困った時にはそいつを始末して異能を解除するでしょう」
「君が今ハッキングしている市街の監視カメラ映像によると、例の素敵帽子君が直々に拳でスカウトしてくれたみたいだね。一年に一度の開港祭を邪魔されたのはこの街を愛するポートマフィアとしては不愉快だったのだろう。活躍の機会を得ることなく処刑かな」
「…私だったらそうしますね」

力にのぼせ上がった馬鹿は駒として使えない。戦場で必ず作戦の綻びになる。

「そうかい。ポートマフィアの被害者諸君が太宰を頼るわけにもいかず浮気トラブルですったもんだするのを見られないのは残念だね。さて事件は解決だ。敦ー、ちょっとアイス買ってきて」
「僕ですか!? ええ勘弁してくださいよ、まだこれからこの件の依頼者が相談に来る予定で」
「……私が行ってこよう、敦君」

きょと、とした目で私を見上げた後、「太宰さんが自ら進んで乱歩さんのパシ…使いに出るなんて!?」と敦が驚愕の声を上げ、それを聞いた国木田が「さては貴様サボるつもりだろう」と睨んでくる。

「行かせてやりなよ、国木田」
「乱歩さん、しかし」
「太宰の出番はこの異能の無効化だ。依頼者から君たちが一通り話を聞いて、浮気未遂の被害者がいたらその人物だけを集めて、それから太宰を動かした方が効率的だろ」

パピコのバナナキャラメル味ね、とオーダーを出した乱歩に分かりましたと後ろ姿で手を振って、私は順番待ちの依頼者が立ちんぼで並んでいる探偵社の廊下を後にした。


 

既視感を覚える部屋だ。ポートマフィアの表向きの顔であるモリ・コーポレーションの本社ビル、その地下階にある資料室の壁の裏に隠された書庫に足を踏み入れたら、どうにも陰鬱な感傷に一刻呑まれそうになった。似ているだけで、ここは安吾の居たあの会計事務所の隠し部屋ではないというのに。
窓のないその部屋は薄暗く、壁一面に書棚が並び、中央にはマホガニーの机。年代物の小振りなシャンデリアがそこに座る者の手元だけをぼんやりと照らしていた。

「……守衛か。いつもの管理人のジイさんはどうした。ケチの付いた会計事務所を畳んでこっちに配置換えされたと聞いたんだがな」
「彼は休暇中です。珍しいですね、中原幹部」
「ああ、ちょっとな。調べ物だ」

よろしければ何かお手伝い致しましょうか、と目深に被った守衛帽の隙間から声を掛けると、その男はこちらに目をやることなくただ口元を一瞬くっと歪めたように見えた。

「馬ぁ鹿、書庫付きの雇われ警備員に頼める仕事なんてねぇよ。手前がここに保管されている書類の一枚、一文字でも読んじまったらな、その首が吹っ飛ぶぜ。文字通りの意味でな」
「ああ、それはどうかご勘弁を。あまりにここでの仕事が退屈なものですから」
「…なんだ、話し相手が欲しいのか? だからジイさんに任しときゃいいっつうのに。手前みてえな若造には向かねえ職場だよ」

俺だったらこんな辛気臭え職場、三日で発狂しちまうな、と言って、男は黒の革手袋の先で弄んでいたファイルをふわりと宙に浮かせ、書棚の空白に戻した。

「不精しますねぇ」

言っていただければ自分が――と声をかけて椅子に凭れかかる男の肩に手を伸ばそうとした寸前、それを読んでいたように「おっと、触るんじゃねえよ。ちょいと怪我をしてるんでな」と制止された。

「なってやるよ、話し相手。どうせ明日の処刑の時刻まで俺はこの部屋に居座るつもりで来たんだからな」
「…処刑、それは昨晩幹部殿が捕らえた異能力者のことですか?」
「よく知ってるじゃねえか。守衛というより探偵みてえだなぁ? 野次馬は早死にするぜ、覚えときな」

はい、と素直に頭を下げると、クク、と機嫌を良くして男はくるりと椅子を回し、私が本当の警備員から奪って着替えた水色のワイシャツの安ネクタイをくいと引っ張った。

「あの野郎の異能なぁ、本人は大層ご自慢の様子だったが、うちの首領を酷く不愉快にしてくれたよ。何故だか分かるか?」
「…さぁ、私のような一介の警備員に首領のお考えは量りかねます」
「浮気なんてもんは、代わりになる奴が世界のどこかにはいるっつう前提があるから出来ることなんだよ。首領の大切なもんは首領本人にしか呼び出せない唯一無二のもんだ。粗末な異能でそこんとこの価値観をいじくられても、当ての無い喪失感があるだけ。とても使えたもんじゃねえ」

でもな、と言葉を続けて、男は私のネクタイから指を外し、いつもトレードマークのように被っている帽子をそっと机に置いた。ゆるやかに流れる前髪が睫毛に掛かる。

「俺はこの異能を割と気に入ってんだ。明朝にはあいつが死んで解けちまうのが少し惜しいぜ。なんせ――手前と話しててこんなに落ち着いた気持ちでいられるのは、出会ってから今まで、一度もなかったことだからな」

なぁ、太宰? と確かに一度も彼の口から聞いたことのないような穏やかな声で名を呼ばれた。自ら守衛帽を脱ぐと、変装のために押し込めていた髪が両の耳朶をくすぐる。

「なんだ、気づいていたの」
「よく言うぜ。酷え手抜きの変装しやがって、俺が気づいてると知ってて小芝居に付き合わせやがった癖に」
「中也なら騙されるかなーと思ったのだけれど。それで? どういう風の吹き回しでこんな所でお勉強に勤しんでいるの?」
「質問すんのはこっちだろうが侵入者。お帰りの際に蜂の巣にされても文句は言えねえぞ。いったい何の用向きだよ、言っとくがなあ、野郎の身柄引き渡せっつうなら無理な相談だぜ」
「要らないよあんな木偶の坊。処刑は明朝と言ったね、それは決定事項?」
「…ああ。首領の気が変わらなければな」

そう、と返した私の顔をにやにやと見つめて、中也はどうした今日の手前は随分と余裕がねえんだなと軽口を叩いた。
君の方こそ、今日は随分と余裕があるのだね。私の姿を見るや瞳に激情の炎を燃やして殴りかかってくるのが常の君が。
そんな私の満たされぬ心中と裏腹に、中也の二つの青い目はまるで真昼の海のように穏やかに揺れ、その奥に私を閉じ込めている。

「……異能力ってのは凄えもんだな。なんて、俺が言ったら冗句になるか? いつもの俺なら、手前の名を耳にしただけでかっと頭に血がのぼって、足の爪先がそわそわして暴れ出しちまう。いつぞやはそれで手前んとこの名探偵の安い挑発にも乗っちまった。これが欠点だって自覚はあったが、だからと言って――反省して直せるようなもんでもねえ」

中也は椅子から立ち上がり、光沢のある執務机の上に行儀悪く腰掛けた。先程までは彼の手元を照らしていた室内灯が、赤銅色の髪と、その隙間になまめかしく光る白い肌を浮かび上がらせている。

「……まるで今は、その欠点を克服したというような口振りじゃないか」
「ああ、そうだ。こうして手前と仲良くおしゃべりできてることが何よりの証拠だろ。野郎の異能に掛かって、その特性についても軽く説明を受けたが、正直悪くねぇ気分なんでな、あいつを処刑するもしねえも、俺は首領の判断に従うつもりだ。もし組織があいつを起用するんなら、このまま『取るに足らない手前』の代わりを探して彷徨うのも面白え」
「成程ね。それでこんな所に潜って、異能力者のリストを漁っていたわけ」
「ああ、生憎と手前のあのクソ忌々しい能力の持ち主は欧州まで飛んだって見つからねえみてえだけどな」
「馬鹿じゃないの。そんなのわざわざ調べなくても分かり切ってることじゃない。中也、君の異能力の暴走を止めるには――私がいないと駄目でしょう?」
「ふん…ああ、俺は本当に、いま頭ん中の大事なところをいじくられてんだなァ。手前のその自惚れた台詞に腹も立たねえ。今なら寺に出家も出来そうだぜ」

どうでもいいんだよ手前のことなんか。何しに来たんだか知らねえが、興味もねえ。見逃してやるから、さっさと消えろ。
そう言って彼が首のチョーカーに指をかけた時、咄嗟に体が動いて、彼の座る机の上にばんと手を置いていた。その行動がもたらした苛立ち紛れの乱暴な音が、狭く薄暗い室内に反響し、私は舌打ちを一つして、制服と一緒に拝借してきた邪魔な白手袋を脱ぎ捨てる。

「言われなくても、用事ならすぐに済ませてあげるよ」
「……おいおい、手前こそ不精してんじゃねえよ。俺をがっかりさせるな、守衛さんよ」

他にいい方法があんだろうが、なあ?
ぱたん、と机の上に無防備に背を付けて、彼は胸元から煙草を探す仕草をした後に、ああくそ、昨日無くしちまったと嘆息した。

「あーあ、どこかに居ないもんかね。あいつみたいな顔で、あいつみたいな声で、あいつみたいに下らねえ悪戯を仕掛けやがる――ついでに異能無効化の能力もあったりしたら最高だぜ。なあ、おい、手前そんな奴に心当たりはあるか?」

ぽかん、と一瞬表情を作ることも忘れてしまって、それを見上げていた中也がなんだァそのツラはと笑う。
ああ、ああ、この部屋は窓もないものだから、暑い。喉元を獣に食い千切られたかのようにせり上がってくる熱情に、急いて自らの首のネクタイをほどいても、まるで体温の下がる気配はなかった。
明日の処刑の時刻まで、ここに居座るつもりだとこの男は言った。昨夜の捕り物で無くした煙草を買い直すことさえしないで、恐らくは自分が異能に掛けられたと知ったその足でそのままこの部屋に来たのだ。自分自身を、この地下の密室に閉じ込めるために。

(太宰、異能に抗う貞淑さに敬意を示せ)

「はぁ…国木田君の説教は後で効いてくる…」
「あぁ? 何だって?」
「何でもないよ。…ねぇ、幹部さん。私でよければ浮気相手になってあげてもいいよ。実は私、異能力を触れることで無効化することができるんだ」

若者が街角でナンパするような気安い口調でおどけてみせると、へぇ、そりゃあすげえなと中也も笑って返す。

「でも、君のお相手…あんないい男の代わりが務まるかしら。些か自信が無いよ」

机の上に寝たままの彼の身体に覆い被さり、その頬に手を添えて唇を合わせた。離して、また角度を変えて口付けることを繰り返しているうちに、互いの吐息は熱くなり、中也の頬はみるみる上気していく。その目の中の海が欲を孕んでじわじわと滲んでゆく。中也の中にあった私への執着が、代替を拒む激情が、再び還ってくる様を目の当たりにしていた。

「はっ…はは、あいつの代わりが務まるかって? 気にすんなよ、期待してねえから」

そのダッセェ制服は役不足だが、我慢してやるよ、と上擦った声で言って、私の腰に巻かれたベルトのバックルをつぅと指でなぞる。

「…そんなに煽っていいの? 地下とはいえ、ここ君のカイシャでしょ。言っておくけど、大きい声出しても途中でやめてあげないからね」

自分自身も興奮で掠れた声で、言葉だけでもそう見せたつもりの余裕は、それに対する彼の言葉によってあっさりと剥ぎ取られた。

「いいんだよ。手前が来ると思って、俺が管理人に休暇を取らせたんだからな」
「……もう、ほんと中也の全てが嫌い」

奇遇だな、俺も今そう思っていたところだ。
中也の手が汗ばんだ私の髪をくしゃりと撫でた。なぜか泣きそうな気分になって、ふと、かの異能の被害を私も受けていたら、そんなことは無効化を持つ私には起こり得ないのだが、もしそうであったなら、私は誰の所へ行っただろうかと考えた。
きっと、私も当ての無い喪失感を抱えて彷徨うのだろう。他の誰かでそれを埋められるのなら、初めからこんな所まで来はしない。
ほら今も、こうして私が碌でもないことを考え始めると、その身体を差し出してまでぐずぐずにあやそうとする。

いないと駄目なのは、私も同じか。