れんあいこわい

 十七歳の春だった。

「恋愛経験豊富なんだって?」

 ひと仕事終わって、関内の駅前で喫茶店に入り、注文したカレーピラフが来るのを待ちながら煙草を口に咥えたところで、真向いに相席してきた太宰が俺にそう訊ねた。

「……誰から聞いた?」

 太宰がこの後俺に仕掛けようとしているであろう悪戯を何通りも想像しながら、俺は一旦そう打ち返してみる。わずか一瞬、太宰がまぶたを震わせた。

「否定しないんだ」
「用件を言えよ」

 メニュー立ての前に置かれていた硝子製の灰皿を引き寄せ、その灰皿の下敷きになっていた徳用サイズのマッチ箱から赤い頭のマッチ棒を一本取り出し、火をつける。

「また煙草なんて吸ってるの? 背が縮むよ」
「伸びなくなるならわかるが、縮みやしねえよ」
「分からないじゃない。ほら、『火気の近くとか子供の手の届くところにおかないでください』って書いてあるし」
「文字が読めて偉いな」

 ムーー、と書いてあるような顔をして、太宰はマッチ箱の側面に印字されている注意書きをつんつんつついていた指を引っ込め、両手でテーブルに頬杖をついて俺を睨んだ。

「最近の中也、かっこつけてて嫌ァい」
「手前が俺を嫌いなのは元からだろ」
「そうだけど。なーんか、斜に構えてるっていうか、クールぶってるっていうか、それが嫌。おもしろくないよ。さっきだって『……誰から聞いた?』だってさ。しらじらしい。部下や気の置けない同僚にだって君、自分の話なんかしないくせに」

 妙に上手くて腹立つモノマネをしながら不機嫌を撒き散らす太宰を前に、今日はいつ本題を話し始めてくれるのだろうと胸中でため息をつく。
 太宰が「偶然」「何の理由もなく」現れるはずがないので、おそらく任務の話、それも電話やメールでは済ませられないような内容で、わざわざ自ら足を運ぶくらいには切羽詰まっているもの。

「居座るんなら何か注文しろよ」
「もうしたよ」
「いつ」
「店に入って来たときに」

 この年代物の喫茶店を一人で切り盛りしている女がカレーピラフと小倉トーストの皿を運んできた。

「ああお姉さん、できれば林檎のジャムも付けてくれないかな」
「マーマレードと苺ならありますけど」
「じゃあ苺で」

 女がキッチンへ戻って行ったのを見送ってから、目の前に置かれている厚切りのトーストと、その上にこんもり盛られたあんこを見つめる。

「……それ以上甘くしたらもう飯じゃねえだろ」
「メシじゃなくてパンだけど?」
「そういう話じゃねえよ」

 見ているだけで胸やけしそうだ。そもそもあんこが得意じゃないのだ。茶会やら何やらでよく出されるので、顔には出さずに食ってはいるが、コーラとポテトチップスで接待してくれる企業があったら俺は大好きになるのになあとよく思う。
 自分の皿を手前に引き寄せ、バターとカレー粉の香りを鼻に吸い込みながら、スプーンを入れた。

「中也はあんこ嫌いだものね」
「……俺、態度に出してたことあったか?」
「さあ。たぶんないんじゃない」
「じゃあなんで知ってんだよ」
「僕はほら、犬の食べられないものを把握しておくのは飼い主の務めだし」

 まったく答えになっていない。どこかでうっかり気が緩んで態度に出してしまっていた場面があったのだろう。今後気を付けなくては。

「そういや、前にも恋がどうとか言ってたな」

 太宰から話を引き出したいときは、太宰が持ち込んできた話に一旦乗るのが結局一番早い。そのことをこの二年間でいやほど思い知っている俺は、自分から最初の話題に流れを戻し、スプーンにピラフを山盛り掬った。

「よく覚えてたね」

 まだ俺がポートマフィアに入る前、太宰と二人で蘭堂と対峙したとき、生きるか死ぬかという場面で発せられた「恋」という単語。
 息をし、食事し、恋をし、死ぬ。
 太宰はあのときも、そんなおかしな食べ合わせを口にしていた。

「レンアイ…ね。ガキみてえにそっちの武勇伝でも語りてえのか? 手前の女関係の話なんざ道端の石より転がってるから聞き飽きてんだけど」

 せめて組織の女はやめろよな、と少なからず面倒をかけられた記憶がよみがえり、愚痴をこぼす。

「組織の女と言えばさぁ」
「おいやめろ」
「先月、一人処刑された構成員がいたでしょ?」
「…あ? ああ…他の組織のスパイだったっていう」
「あれ、スパイだって証拠を見つけちゃったの私で、森さんの命令で彼を尋問したのも私で、聞くこと聞いたから殺したのも私、だったんだけど、その数日後に部下の女性が私の執務室に拳銃持って乗り込んで来てね」
「そいつの部下が復讐に来たのか?」
「私の部下。復讐に来たのは正解。コイビトだったんだって。そのスパイの彼の」
「仕留め損なったのかよ、使えねェ女だな」
「私も残念だよ。愛する彼の最期の言葉を聞きたいだろうと思っておしゃべりしていた間に別の部下が駆けつけて来て、その場で射殺されてしまった」
「分かってて時間稼ぎしたんだろ、どうせ」

 苺ジャムと小さなスプーンが載った小皿が運ばれてきた。店主は物騒な会話を気にも留めずジャムと伝票を置いてまた奥へ引っ込む。
 黒い小豆の粒々が散りばめられたトーストの上に真っ赤なジャムがどろりと落とされる。太宰はそれをスプーンの背で大雑把に撫でつけて、口いっぱいに頬張った。

「うまいのかよ、それ」
「甘酸っぱいのが欲しかったんだ」

 太宰は口の端と鼻の頭をべたべたに汚しながら大きな口でみるみるトーストを食べ進める。

「でも、思ってたのとは違った」
「だからそれ以上甘くすんなって言ったろ」
「私の部下なら、あんな単身無策に襲撃したって、成功するはずがないと分かりそうなものなのに」
「好いた男が死んだんだ。無理もねえだろ」
「それだよ」
「どれだよ」
「恋をすると、頭が悪くなるらしいよ」
「……そういうもんだろ? 知らねえけど」
「こわいよねえ。こわいこわい。太宰治はポートマフィアの秘密をいーっぱい知ってるわけなんだけど、恋をしたことで頭が悪くなった太宰治は、どうなると思う?」
「そのへんのしょぼい組織にとっ捕まって拷問」
「死ぬのはいいけど、痛いのはやだなぁ」

 だったら女遊びをやめたらどうだ、と言いかけて、なんだこの会話くだらねえ…、と我に返った。

「おい……まさかとは思うが、マジで急な任務とかでも何でもねえ恋バナなのか?」
「任務って何?」
「うそだろ手前……暇人か……」

 ただの気紛れのパターンだったらしい。さっさと食って店を出ときゃよかったと後悔した。
 そもそもこんな話をしてくるということは、目の前の男はさんざんそこら中で女たちを食い散らかしておいて、その誰にも恋愛感情はなかったと言いたいわけだ。クズだ。女の敵である。

「手前はさ、そのよく回る頭だけが取り柄なんだから、一生恋なんて知らずに首領に尽くせよ」
「うわ最悪。そんなこと言われたら、絶対なにがなんでも知りたくなってきた」
「やめとけ。頭の良くねえ太宰はただの太宰だ」
「元からただの太宰だし」
「どうしてもっつうならせめて相手は選べ。それこそ敵組織のスパイの女とかに入れ揚げられたら俺が迷惑すんだよ! 手前の不始末はだいたい俺が巻き込まれることになんだから!」

 太宰の女関係で多大な迷惑を被ったときのことを思い出してつい語気を荒げてしまった。店主と他の客からの視線を感じ、舌打ちして立ち上がる。
 仕事の用件じゃないと分かったのだから、こいつとこれ以上話していても時間の無駄だ。あと、気に入りの喫茶店に嫌われたくない。

「待って」
「いやだね。俺はいそがしいんだよ」
「相棒の恋の相談も聞けないほど?」
「俺は恋なんて知らねえ。相談相手は他を当たれ」
「そうかい。それは──よかった」

 ガタン、と太宰も席を立ち、前のめりに俺のシャツの襟を掴んで引き寄せた。
 なにか、やっぱり内密の話をされるのかと思った。視線が交差したとき、太宰の顔にはいたずらな含み笑いが浮かんでいたからだ。
 しかしそれは勘違いだったとすぐに知る。
 鼻にぺたりと何かの感触が当たって、砂糖を焦がしたような匂いが鼻腔をくすぐったのとほぼ同時に、唇にやわらかいものが触れていた。

「な、んう……っ…」

 俺の口から飛び出したはずだったなにしやがるは、太宰の口の中へすっぽり飲み込まれて消えてしまった。つぶれた苺のような甘酸っぱい固まりが俺の舌の上をねっとりと滑り、出て行く。
 遮られていた視界に太宰の満足そうな顔と喫茶店の黄ばんだ壁紙と元気のない観葉植物。俺は咄嗟に「ファーストキス」という単語を叫びそうになり、すんでのところでそれを喉奥へ押し戻した。

「なっ……な、なに、てめぇ……」
「相手は選べと言ったのは中也でしょ」
「だからって、俺で試すのは違えだろ! 甘いもん食いすぎて頭バグってんじゃねえのか!?」

 周囲の視線が痛い。もう二度とこの店のランチは食えなくなってしまった。今時めずらしい全席喫煙可の店だったのに。

「心配しなくても、中也を相手に一通り実験して、こんなもんかって分かったら解放してあげるからさ」
「なんで手前の悪趣味に俺が付き合わなきゃなんねえんだよ。手前が頼めば恋愛ごっこしてくれる女は腐るほどいんだろ」
「そりゃあそうだろうけど、中也への嫌がらせと私の探求心を同時に満たせるなんてお得じゃない?」
「俺には損しかねーんだよ!」
「まあまあ。賢い中也なら、こういうとき私の提案に一旦乗るのが結局一番早く解放してもらえるって分かっているでしょ?」
「うっ……」
「私の飽きっぽさも知ってるでしょ。大丈夫、ちょっと付き合ってくれるだけでいいからさ」

 俺は古い革製のソファに力無く腰を下ろし、煙草を口に咥えて二本目のマッチを擦った。しゅうっと燃え上がる炎に先端を近付け、一口吸って煙を吐き出す。太宰もゆっくりと席に座り直し、俺の口元から細く昇っていく煙を眺めていた。

「……付き合うって、具体的に何をするんだよ」

 俺たちが座るのを待っていたのか、店主が食後のホットコーヒーを運んできた。さっきまで騒いでいたことについて特に何も言わずにキッチンへ戻って行く。有難いが逆に居た堪れない。

「うーん…? 付き合う・社会人・何する……」
「検索してんじゃねえよ…つうか社会人か? 俺ら」「学生ではないでしょ? あ、ええとねぇ、休みを合わせて一緒に出かけたり、お互いの部屋に泊まったり、二人だけのルールを作ったりするらしいよ」
「出かけるって、どこに」
「なんか、季節に沿ったデートをするみたい」
「季節? 旬の魚を食うとか?」
「冴えてるね。よし、次のオフには海に行こう」
「真に受けんなジョークだよ。何が悲しくて貴重な休日に手前と海に……」

 げんなりした顔で言うと、太宰は「協力すればするほど早く終わるよ? お得だよ?」とマルチの勧誘みたいなことを言ってくる。そういえば場所も喫茶店だし、いかにもという感じだ。詐欺につかまる奴はこういう気持ちなのだろうか。同情する。

「俺の部屋は最近引っ越したばかりだから嫌だ」
「じゃあ私の部屋に来る?」
「手前のあれは部屋じゃねえ」
「わがままだなぁ。じゃあ中也の部屋しかないじゃない。心配しなくても、汚したりしないよ?」

 信じられるわけがない。
 かといって、太宰が住居代わりにしているコンテナで一晩過ごすのは、独房に拘留されているのと変わらない気がする。シャワーもトイレもないことを考えると独房の方がまだ快適だ。

「……部屋は保留だ。あとは何だって?」
「二人だけのルールを作る」
「ルール……? 積極的に作りまくりてえが、手前が大人しく守るとは思えねえ。意味あんのかそれ」
「そうだねえ…ルールというか、私達にしか分からない暗号を作るというのはどう?」
「暗号……」

 それはちょっと楽しそうだ、と思った。
 非常に不本意だが任務で太宰と組まされることはこれからもあるだろう。そこで秘密の暗号を使って戦う──ちょっと格好いい。

「ちょっとカッコイイとか思ってるでしょ」
「お、思ってねえ」
「じゃっ、それからやってみようか。ちょうど今夜厄介な仕事が入っててね。私と君とで朝までに片付けて来いって森さんが。そこで使おう」
「おー……?」
「じゃあ私から一個目、『恥と蟇蛙』。これはねぇ」
「……いや、任務の話あったのかよ!」
「え? 当たり前でしょ。私が中也と恋バナするためだけにわざわざ来るわけないじゃない」
「殺してェ~~。なぁ、もう別れようぜ俺達」
「うふふ。駄目だよ」

 もう少しがんばって、と言って太宰は微笑んだ。

 その日から、俺と太宰は恋人同士だった。
 もちろん「恋人ごっこ」だ。時々、「あの…太宰さんと中原さんって…」と決死の形相で聞いてくる奴がいればそう答えていたし、それを何度か繰り返したら組織内で俺達が「そういう遊びをしている」という認知が広まっていった。
 最初は、早く飽きてくれとそればかり思っていた。
 それまでは必要に迫られて連絡したって十回に九回も出なかったくせに、《コイビト》の太宰は頻繁にどうでもいいことで連絡してきた。
 おはようやおやすみだけのメッセージであったり、ぶさいくな犬の写真であったり、雨が降ってきたねと電話してきて、コンテナの屋根に雨粒が落ちる音を聴かせてきたりした。
 会話は一センテンスで終わるときもあれば、とりとめもないことをしばらく話し続けることもあった。雑談の中で次の休みは何をしようかと相談し、よくその予定が急な任務で潰れて太宰が拗ねた。
 次第に、飽きて終わりになるのが惜しくなった。
 たとえば殲滅じゃなく生け捕りや情報の奪取を目的とした任務で手こずって何日も家に帰れなかったとき、取引相手が自分より一枚上手で首領に良い報告ができなかったとき、ただどうしても気がめいって、ワインを大量に買い込んだとき、そういうときには、無意識に太宰を待っていた。
 合鍵を渡し合うことはなかったが、俺の部屋にはゲーム機と映画のDVDが、太宰のコンテナには小から中にサイズアップした冷蔵庫と扇風機が増えた。
 ごっこ遊びで会っているときは、まるで学生の放課後みたいにバカ笑いして過ごしていた。俺達はどっちも本物の学生らしい振る舞いなんて知らなかったけれど。
 ちょんと触れるようなキスを目が合うたびにして、ゲームのロード時間が長いときや、最後に何かありそうな映画のエンドロール中に舌で気持ちよくなるのが上手くなった。
 ホラー映画のオバケとオバケが対決している変な映画の終盤でまあまあの地震があって、「しらけたね」「そうだな」という会話の後、寝室へ行って、初めて抱かれた。
 絆された、と言ってしまえばそれまでだ。
 だけど、どちらかというと見直したのだ。ごっこ遊びだとしても、相手が俺だとしても、恋人としてのあいつの振る舞いは申し分なかった。程良く束縛してきて、程良く物足りなくさせた。
 ときどき女遊びしている痕跡をわざと俺に見つけさせたりしてきたが、そういうときは仕返しに俺も浮気してやったし、浮気現場に乗り込んで修羅場を演じてみたりもした。恋人同士にありそうなことは全部、俺達にとっては楽しい遊びだった。
 だから、あいつがいなくなったと聞かされた日、俺は大量に食材を買いこんで帰り、好きな音楽を聴きながら手の込んだ料理を作り続け、テーブルに乗りきらないほどの皿を並べて、自分が持っていた中で一番高い酒を空けた。
 恋人ならば、ふつう泣いて悲しむ場面だろうから、パーティをして祝った。
 もう恋人じゃなかったから。

「で? もう恋愛はこわくなくなったのか?」
「ううん。今も震えるほど」
「その割には前戯が雑になったじゃねえか」
「まだ何もさせてもらえてませんけど」
「再会して早々ヤりに来るその態度だよ」

 四年ぶりに汚濁を使って、骨も筋肉も内蔵もズタズタになったので、自宅で待機し回復を早めるよう命じられていた。
 自分の仕事は為果せたが、まだ危機が去ったわけではない。組合が次の手を打ってきたら、その進攻に対抗する手勢が今のポートマフィアには足りない。必要となれば、もう一度俺が……。

「早々って。再会した日は内股開かすだけで我慢したじゃない」
「おいおいおいおい変な言い方すんな!」
「あれだけで大人しく帰ったのにヤリモクみたいに言われちゃ心外だなぁ。どうせ今頃『必要となれば、もう一度俺が……』とか思ってるんだろうな~と思ってわざわざ来てあげたのに!」
「四年間で俺のモノマネ上達させてんじゃねえ!」
「地下に潜ってた間、ヒマだったから……」
「……ったく、拠点まで送り届けろっつったのにあんな場所に置き去りにしやがって。おかげで身体中痛えよ。命令あるまで待機だ」
「命令はないよ」

 なぜ分かる、と訊ねようとして、やめた。

「明日、安吾の見舞いに行こうと思ってるんだ」
「…………そりゃあ、大忙しになるな」

 ソウイウコト、と話しながら、句読点を打つように一粒ずつシャツの釦を外していく。

「尚更、こんな所で油売ってる場合じゃねえだろ」
「ちょっと寝ただけで見た目元気いっぱいに回復しちゃってる君が悪いんだよ」

 疲労で鉛のように重い腕を持ち上げて、馴れ馴れしく近づいてきた唇を手のひらで押し返したら、親指の付け根の肉をフライドチキンにかぶりつく時の力加減で齧られた。

「いってェ! ッて、~~~ッ!!」

 大声をあげた拍子にあばら骨に激痛が走った。
 たまらずに身を捩ったのを利用されてするすると下履きを脱がされ、あっという間にシャツ一枚だけの姿にされる。

「もっと念入りにズタズタにしておかないと」

 言葉だけは物騒で、それに反して親指を噛まれた後の触り方は優しかった。
 俺の躰はどこもかしこも内側が炎症を起こしていて、変な熱にまみれていた。それを太宰の手のひらが吸い取ってゆく。
 戦闘の後だけ、体温が逆転する自分たち。いつもは太宰の方が火傷しそうに熱くて、俺は頬も指先もつま先も氷のように冷たかった。

「中也……もう一度、してみない?」
「……二度目はな、うっ…おい、や、ア…」

 つい先日言わされた台詞を使って流そうとしたのを阻まれた。いつの間にか寛げていた太宰のスラックスからがちがちに硬くなったペニスが取り出され、俺の弱々しく勃ち上がっていたモノと一緒に握り込まれた。
 二度目って、何のことを言ってんだよ。
 恋愛ごっこ? セックス?

「おことわ……っり、はあ、ァ、う…」

 大きな手が、形も長さも違う二つの性器をべったり密着させて、一纏めに擦り上げる。
 浮き上がった血管の上を太宰の指が滑ると、ドクドクとどちらのものか分からない脈動が腰に響く。

「おい……っ! 無理だって! 太宰…!」

 このままなし崩しにヤる気だろうか。それはごめんだと思うが、ここで全力で抵抗して太宰と殴る蹴るの攻防になれば体の傷が開いてしまう。首領から出動命令があったとき、言い訳が立たない。
 かといって、諦めてヤられるのも無理だ。なにせ四年も後ろに男を受け入れていない。突っ込まれたらまさにズタズタにされること必至である。
 皮膚表面の傷が塞がっただけで、中身はまだ満身創痍なのだ。「見た目元気いっぱい」と言っていたし、元相棒である太宰なら分かっているだろうに。

「そうだね。いれるのは、まだ無理かな」

 興奮に上擦った声が、昔の太宰のようだった。
 お互いの部屋や、執務室や、廃ビルで、そういう気分になっては、おぼつかない手つきで触り合い、どうすればもっと気持ちよくなれるのか、どうすれば目の前の相手を出し抜いてやれるのか、おっかなびっくり繰り返していた実験。
 いれるのはまだ無理かな。あのころの太宰はよくそう言って、俺の中に入るのを諦める代わりに沢山キスをしてきた。桃を食べるのがへたくそな奴がするたぐいのキスだった。互いの口元をべちゃべちゃに汚しながら、夢中でペニスを扱いた。
 あんなに、セックスがしたいという欲に翻弄されていたのはあの時期だけだ。
 若かったから? 相手が恋人だったから?
 『ごっこ』の恋人であんなになってしまうのなら、ほんものの恋人とヤッてる奴等は廃人になってしまうんじゃないか。

 ──恋をすると、頭が悪くなるらしいよ。

 太宰が俺の唇を舐め、舌を出すよう促した。
 どの角度から齧ったら美味しいか、お互いに探るような青くさくて余裕のないキス。
 初めて抱かれた夜の再演のようなやり方。

「……手前は、性格が悪い」
「……中也は?」
「あ?」
「アタマ悪くなった?」

 太宰はにこにこ笑いながらそう訊ねる。
 キスして触り合うだけで吐く息を乱しながら。

「……うるせえ。早くイかせろ」
「うふふ。いいよ」

 ベッドに寝ている俺に覆い被さったまま、太宰が躰をゆすり、根元から雁首へかけて扱き上げる。
 力を込めて擦り上げられる度に、腰の骨にずんと振動が伝わって、まるで内側から突き上げられているような錯覚に眩暈がした。

「っあ、ンッ、射精る…っ」

 耳元で太宰も低く呻いて射精した。二人分の濃いザーメンが腹にべとべとと纏わり付く。

「…………あー…つかれた…だりぃ…」
「マグロが何か言ってる」
「怪我人の寝込み襲っといて手前……」

 エネルギーを消費させられたことで猛烈な倦怠感に襲われ、唸るような声で文句を吐いた。
 太宰は着ていたシャツの裾を摘まんで「中也ので汚れちゃった~」と言いながら、ベッドを降りる。

「手前のも付いてるだろが」
「私の着替えある?」
「あるわけねえだろ」
「じゃあ、お風呂と洗濯機借りるね」
「おい、勝手に使うな。出てけ……くそ……」

 倦怠感の後に来たのは睡魔。俺は太宰を追い出すことも汚れた身体を拭くこともできずに、ずぶずぶと白いシーツの底へと沈んでいった。

 翌朝、目を覚ましたら綺麗なパジャマに着替えさせられていて、玄関の方から慣れた気配が出て行こうとしている物音がした。

「手前、勝手に泊まりやがったな」

 よく寝て少し楽になった身体を動かして玄関まで行き、壁によりかかって声をかける。
 砂色の外套を纏い、玄関のドアノブに手を掛けていた太宰が、起きたんだ、と言って振り返った。

「宿代はさっきコンビニで買って置いといたよ」
「はあ? 手前が? 何買ったんだよ、どうせ」

 ゴミにしかならないような変な物をいやがらせに買ったのだろうと、確かにリビングのテーブルに置かれているコンビニのビニル袋を見て訊ねた。

「ポテトチップスとコーラ」
「…………そりゃあ、大好きになっちゃうな」
「……えっ!? ちょろくない!? なんで!?」

 そんなに好きだったっけ!? 今までの私の努力は何だったの!? と見たこともない顔してわめく太宰を見たら、なんだかずっと喉につっかえていたものが、すとんと胸まで落ちた気がした。

「とっくに馬鹿だったわけか」
「ハァ!?」
「いいからさっさとあの成金野郎どもを片付けて来いよ探偵社。元相棒の恋愛相談はその後で聞いてやる」

 ちゅうやのくせにえらそうに、と仏頂面で噛み付いてきた唇は、馬鹿みたいに甘酸っぱかった。